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篠山紀信の妻は南沙織で沖縄出身のアイドル歌手! 45年間連れ添った秘訣は?

篠山紀信の妻は南沙織沖縄出身アイドル歌手!45年間連れ添った秘訣は?

写真家の篠山紀信氏が令和6年1月4日に老衰のため逝去した。83歳。

篠山氏は日本を代表する写真家である。

篠山氏の妻は、南沙織沖縄出身元アイドル歌手である。

篠山氏にとっては南沙織は二度目の妻である。

最初の妻は、モデルのジェーンアダムス、1971年に結婚し1976年に離婚。

結婚生活は僅か5年である。

そして二度目の妻となったのが、南沙織である。

1979年6月、篠山紀信の38歳、南沙織24歳の時である。

この南沙織との結婚は、篠山紀信が2024年(令和6年)83歳でこの世を去るまでの45年間ともに連れ添うことになった。

南沙織との間には、3人の息子をもうけている。

次男は、俳優の篠山輝信である。

篠山紀信は逝去した。83歳であった。妻は南沙織沖縄出身元アイドル歌手である。

45年間連れ添ったその秘訣はどこにあったのかを紐解いていく。

 

篠山紀信・妻南沙織とは一体どんな人物?

篠山紀信の妻は南沙織沖縄出身45年間連れ添った秘訣は?アイドル歌手!

 

篠山紀信が2024年(令和6年)83歳で逝去した。

妻は、南沙織沖縄出身元アイドル歌手である。

南沙織は篠山紀信の二度目の妻である。篠山紀信38歳、南沙織24歳で結婚した。

14歳年の差のある夫婦であった。篠山紀信の最初の結婚は、僅か5年で終わっている。

しかし、南沙織との二度目の結婚は篠山紀信が83歳でこの世を去るまでの45年間の長きにわたる。

篠山紀信の妻は南沙織沖縄出身元アイドル歌手。

45年間連れ添った秘訣はどこにあるのか。

まず、篠山紀信、そして妻南沙織はどんな人物なのかご紹介することから始めたい。

 

写真家篠山紀信とはどんな人物か

篠山紀信は1940年(昭和15)年12月3日生まれ、

東京都新宿区にある真言宗豊山派円照寺の住職篠山明信の次男として生を受けた。

父は篠山紀信が4歳の時戦死している。篠山紀信はこの生家、円照寺で高校生まで暮らしている。

篠山紀信は日本を代表する写真家となった。

しかし、彼は初めから写真家を目指そうとしていたわけではない。

篠山紀信が写真家を目指した動機は少し変わっている。

篠山紀信は、大学進学で希望する大学には入れなかった。それで、日本大学芸術学部写真学科に進学した。写真学科に入ったからには、写真家になろうと決意したのだと言う。

そして、大学に通いながら東京総合写真専門学校にも入学した。専門学校を卒業すると、広告会社就職した。大学在学中のことである。

広告会社に入社して、6年後にフリーの写真家になった。

日大在学中の1961年広告写真家協会展APA賞受賞

1966年東京国立近代美術館「現代の写真10人」展に最年少で参加

1976年ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館に代表作家として選ばれる

2020年第68回菊池寛賞受賞

数多くの著名人、俳優・女優・歌舞伎などを作品に収めた。

また、北海道から沖縄までの80か所の日本の家を収めている。

幅広いジャンル、数多くの作品を生み出し、「激写」などの流行語も話題となった。

 

妻・南沙織はアイドル歌手だった!

1954年(昭和9年)7月2日生まれ。

沖縄県中頭郡嘉手納町に生まれ宜野湾市で育つ。

旧姓 内間明美 現在・篠山明美

母親の再婚相手がフィリッピン人で、弟の異父兄弟がいる。

沖縄のインターナショナルスクールに通ったバイリンガルである。シンシアというクリスチャンネームをもつ。

デビュー前、南沙織は地元沖縄の放送局、琉球放送のテレビ番組のアシスタントをしていた。

「オキコワンワンチャンネル」という素人のど自慢テレビ番組である。

ある日、そのテレビ番組にヒデとロザンナがゲスト出演した。そのマネージャーが東京へ持ち帰った南沙織の写真が関係者の目に留まったのだ。

南沙織は、1971年の春、母親と共に上京。沖縄本土復帰の1年前のことである。

その年の6月1日、歌手デビュー。キャッチフレーズは「ソニーのシンシア」

デビュー曲「17歳」、54万枚の大ヒット

同年、第3回日本レコード大賞新人賞受賞 受賞曲「17歳」

その年NHK「第22回紅白歌合戦」に初出場

ブロマイドは1971年,1972年年間売り上げ実績第1位。

1975年第17回日本レコード大賞歌唱賞、受賞曲「人恋しくて」

数々のヒット曲を出し、アイドル1号と呼ばれた。

1978年上智大学の学業に専念するため同年10月に歌手引退。

1979年6月、篠山紀信と結婚、3人の息子を設ける。

俳優の篠山輝信は次男である。

 

篠山紀信と妻南沙織!二人を結びつけたのは何であったの

篠山紀信の妻は南沙織沖縄出身アイドル歌手!45年連れ添った秘訣は?

 

令和6年1月4日。日本を代表する写真家、篠山紀信が83歳で逝去した。

彼の妻は、沖縄出身元アイドル歌手の南沙織である。

篠山にとっては、南沙織は二度目の妻であった。

二人は、1979年6月、篠山紀信38歳、南沙織24歳の時結婚している。

篠山紀信は、38歳から逝去する83歳までの45年間を南沙織とともに歩んだのである。

篠山紀信は最初の結婚は僅か4年で破局している。

篠山紀信と南沙織を結びつけたのは一体なんであったのか。45年間という半生を共にした秘訣はどこにあるのかを探ってみたい。

 

篠山輝信と南沙織の出会いはいつ?篠山に映った南の印象は!

南沙織がデビューしたのは1971年6月のことである。

南沙織は沖縄で生まれ、フィリッピン人の異父を持ちインターナショナルスクールに通うバイリンガルである。

クリスチャンで、「シンシア」というクリスチャンネームを持っている。シンシアとは「月の女神」という意味である。

デビュー前、地元沖縄の琉球放送の素人のど自慢の歌番組「オキコワンワンチャンネル」のアシスタントをしていた。

ある日番組にゲスト出演していたヒデとロザンナのマネージャーが東京へ持ち帰った南沙織の写真が新人歌手発掘の目に留まったのがきっかけである。

1971年春上京し、その年の6月には、17歳で歌手デビューしている。

1971年と言えば、沖縄本土復帰の一年前のことである。当時の沖縄は米軍の統治下に置かれていた。

篠山輝信は、南沙織のことをこう語っている。

「彼女の登場は返還を目前とした沖縄のイメージアップのための国策歌手かと思ったくらい良かった」

篠山紀信にとって、南沙織は衝撃的とも言えるほどの好印象であったのだ。

 

篠山紀信と南沙織の出会いはいつだったのか!

南沙織は1971年6月歌手デビューし爆発的なヒット曲をうみだした。

その頃、小柳ルミ子、天地真理がいる。このアイドル3人はそれぞれのイメージがあった。

小柳ルミ子は陸のイメージ、天地真理は空のイメージ、南沙織はは海のイメージであった。

南沙織のブロマイドの年間売り上げ実績は、1971年、1972年第1位を占めている。

歌手引退は1978年、1971年歌手デビューから僅か7年、およそ、17歳から23歳までの歌手生活である。

篠山紀信と南沙織の出会いは、南沙織のレコードジャケットの撮影である。

篠山は南のレコード、シングルを20枚、アルバムを25枚撮影している。

南沙織が歌手デビューした1971年、篠山紀信はモデルのジェーンアダムスと最初の結婚をしている。

日本人の母親とアメリカ人の父を持つハーフで、1968年ミスユニバースコンテストで4位という美貌の持ち主である。

しかし、1976年には離婚、結婚生活はわずか5年で終わったのだった。

篠山紀信と南沙織の出会いは南沙織がデビューした1971年、篠山紀信31歳、南沙織17歳

の頃である。篠山紀信は、南沙織のレコードジャケットの撮影をしている。

 

篠山紀信と南沙織を結びつけたものは一体何であったのか?

篠山紀信と南沙織は14歳年の離れた夫婦であった。

篠山は東京生まれ、東京育ち、お寺の息子として、生家で高校生のころまですんでいる。

一方、南沙織は沖縄生まれの沖縄育ち。異父がフィリッピン人でインターナショナルスクールに通っていた。クリスチャンである。

年齢も離れ、生まれ育った環境も全く違う二人である。

しかし、45年連れ添うことができたのはなぜなのだろうか。

まず、考えられるのは、南沙織がデビューした時の篠山紀信の印象は強烈的だったということだ。

篠山紀信はこう語っている。「彼女の登場は、返還を目前とした、沖縄のイメージアップのための国策かと思ったくらい良かった」と。

写真家として、数多くの女優、歌手、モデルを被写体として撮ってきた篠山紀信。

その中でも、南沙織は篠山紀信にとって、格別の好印象であったと言えるだろう。

1979年、二人は結婚、南沙織は家庭を大事にしたいといって、芸能界復帰はなかった。

「家庭を大事にしたい」という言葉は、夫である篠山紀信の存在あってのことである。

南沙織にとって、篠山紀信は一番大切にしたい存在だと言える。

恐らく南沙織は写真家として、精力的に活動する篠山紀信を尊敬しまた、そのあらゆる苦悩も理解したのだろう。

篠山紀信も南沙織あって、写真家として幅広い活動が出来えたのだと思う。

また、篠山紀信は南沙織についてこう語っている。

「彼女は僕の人生で最も大切な存在だ」

二人の出会いは運命的ともいえるのではないだろうか。

もし、篠山紀信が大学進学で志望校に合格してたら、写真家とそての篠山紀信は存在しなかっただろう。

もし、琉球放送の番組のアシスタントであった南沙織の写真をヒデとロザンナのマナージャーが東京へ持ち帰らなかったら、アイドル歌手としての南沙織は存在しなかっただろう。

そして、二人の出会いもなかったのではないだろうか。

二人の出会いは、運命の赤い糸で結ばれていたのかもしれない。

 

篠山紀信の妻は南沙織沖縄出身元アイドル歌手!45年連れ添った秘訣は?まとめ

篠山紀信の妻は南沙織沖縄出身アイドル歌手!45年間連れ添った秘訣は?

 

写真家篠山紀信が令和6年83歳でこの世を去った。

写真家として、情熱的に精力的に数多くの話題作を生み出してきた写真家だった。

この篠山紀信の妻は南沙織沖縄出身元アイドル歌手である。

篠山紀信は南沙織は2度めの妻である。1974年篠山紀信38歳、南沙織24歳

14歳年の差の夫婦であった。篠山紀信が他界するまでの45年間連れ添えた秘訣はなんであったのか。

篠山紀信にとって、デビュー当時の南沙織の印象は魂に刻みこまれるほど衝撃的であったといえる。

生まれ育った所も、環境も違う。

お寺の息子である篠山紀信、クリスチャンである南沙織。

二人の出会いは運命的とも言える。

篠山紀信にとって、南沙織の存在は魂に響くものがあったと言える。

芸能界引退し、家庭を第一にしてきた南沙織にとっても、篠山紀信の存在は同様に魂に響くものがあったのではないだろうか。

篠山紀信の妻は、南沙織沖縄出身元アイドル歌手である。

45年連れ添った秘訣は、お互い同士が、心の深い所で理解し合える存在だったと言えるのではないだろうか。