ヘチマといえば何を連想するでしょうか?
日本人の多くは、タワシを連想するようです。
しかし、沖縄県民にとってヘチマは野菜であり勿論食べる物なのです。
沖縄以外の人たちからは、ヘチマって食べられるの?という声がありますが、その方が沖縄県民からは驚きなのです。
ヘチマを食べる県は、他に鹿児島があるようです。
そこで、大きな疑問です。
なぜ、一般的にヘチマはタワシで、沖縄では食べ物なのでしょうか。
それは、沖縄の食糧事情と風呂文化の違いにその答えがあるのではと考えたのです。
沖縄ではヘチマは食べるのが常識!タワシの意識の方が薄いのです!
ヘチマは夏に緑色のの細長い実をつけます。
沖縄で生まれ育った私は、押さない頃から、近所の庭や近くの畑にヘチマが大きな青々とした葉を広げ、黄色の花を咲かせ、緑色の少しザラザラした細長い実をつけるのをよく見かけてきました。
収穫されなかった実は、白っぽい網目情になりぶら下がっていました。
これが、タワシとなるのですね。
ヘチマのことを、沖縄の方言で ナーベラー と言います。
ナーベ とは お鍋の事、ラーは、アラヤー 洗うもの、つまり 鍋洗い という意味です。
ですから、沖縄でもヘチマはタワシとして使っていたのが分かります、鍋洗いとして。
浴槽などのグッズを販売しているお店で、体を洗うタワシとして見かけることは最近よくあります。
けれども、ヘチマは沖縄県民にとってはゴーヤーと並ぶ夏野菜なのです。
沖縄では、ヘチマは食べるのが普通なのです。
タワシとして使うというよりも、ヘチマは美味しい野菜で食べるものなのです。
では、ヘチマは一体どこからきたのでしょうか。
そして、どんな風に使用されていたのでしょうか。
ヘチマの原産地はどこ?いつ伝わりどんな風使用していたのかご紹介します!
ヘチマの原産地はインドで、熱帯アジアを中心に栽培され、日本へは中国を経て1600年頃伝わってこました。
江戸時代の学者、貝原益軒が1807年に書いた「大和本草」によると、「老いては、干して実を去り、鍋窯および油っけのけがれを洗い、湯浴びするときに手足を洗う」とあります。
また、薬草学者 小野雷山は「大和奔走批正」という本の中で、「塾せざるは、皮も柔にして食うべし」と書いています。
このことから、江戸時代に伝わったヘチマは、タワシとして鍋洗いに使ったり、手足を洗うのに使ったり、また、実が若いうちには食用として食べていたことがわかります。
沖縄では夏野菜の定番!美味しい食べ方をご紹介!
ヘチマといえば、沖縄ではゴーヤーと並ぶ夏の定番料理です。
夏になるとヘチマは、沖縄のどこのスーパーでも良く売り出されている野菜です。
また、沖縄の食堂でも、 ナーベーラーチャンプルー、 というメニューがありますが。
ヘチマをシマ豆腐と豚肉で炒めたメニューは、ヘチマの定番料理です。
ここで、ヘチマの料理の仕方を簡単にご紹介いたします。
準備するもの
ヘチマ 豚肉 豆腐 だしの素 味噌 油
- へちま皮をむく
- ヘチマ1センチくらいのを輪切りにする
- 豚肉こまきれを油でいためる
- ヘチマを入れて炒める
- 豆腐をいれて炒める
- だしを入れる
- 味噌を入れる
とても簡単な紹介ですが、普通に野菜炒めを作る要領で、ヘチマ、お肉、豆腐など分量もお好みでいいかとおもいます。
お肉の代わりにツナ缶でもいいですし、お豆腐なしでも美味しいですよ。
ヘチマの煮汁がでて、トロッとした感触の炒め物になります。
沖縄では食べるもの!それはなぜ?沖縄の食糧事情と風呂文化に関係しているのか?
日本人の多くが、ヘチマをタワシとしてイメージします。
しかし、沖縄では、ヘチマはタワシというよりは美味しい食べるなのです。
ヘチマは野菜であり、食べる物なのです。
では,なぜ沖縄ではヘチを食べるのでしょう。
不思議に思ってあれこれと考えてみました。
そこで、気がついたのは、沖縄県以外の日本と沖縄の気候風土の違い、そこから来る食糧事情と風呂文化の違いから来ているのではないかと考えたのです。
では、沖縄の食糧事情はどうだったのでしょうか。
そして、沖縄の風呂文化と沖縄以外の日本の風呂文化とどうちがうのでしょうか。
沖縄の食糧事情はどうだったの?
沖縄は日照りが強く、昔から水不足に悩んでいました。また、たびたび襲ってくる台風により農作物がなかなか収穫できない状況にあったのです。
17世紀にイモが伝わったことによって、沖縄の人々の主食はその後数百年にわたって、イモとなりました。
イモの主食は、戦後まもなくまで続き、みそ汁もイモの茎とイモの葉がほとんどで、食べ物のほとんどがイモでした。
そんな食糧事情の中、17世紀に伝わったヘチマは沖縄の人にとって有難い食料となったであろうことは間違いありません。
沖縄でも、ヘチマをタワシとしてつかっていたことは、方言からもわかります。
ヘチマのことを、沖縄の方言で ナーベラー というのです。
ナーベ とは、お鍋 のことで、鍋を洗うもの とい意味です。
また、体を洗うタワシとしても使ってはいたようですが、やはり、野菜として食べるものとしての利用が多かったのです。
ヘチマは、若いうちは柔らかいので、柔らかいうちに収穫して食べるのです。
そのまま、ほおっておくと実は繊維状に難くなり、それがタワシとなるのです。
しかし、食料不足の沖縄にとっては、ヘチマはタワシにするのは勿体ないという感覚であったのではないでしょうか。
ヘチマは、食料不足の沖縄にとって、有難い食べ物だったのです。
ヘチマをタワシに使う日本の風呂文化について解説!
日本の風呂文化の始まりは、6世紀仏教の伝来とともに中国から伝わったと言います。
沐浴と言われるもので、寺院では、体を清めるということは、大切な業の一つとされていました。
鎌倉時代には、町湯という銭湯ができました。これは、貴族の屋敷に入浴施設を造り、客人をもてなしたのです。
一般的な銭湯は、江戸時代に出来ました。
江戸時代には、数多くの銭湯ができ、そこは庶民の憩いの場であり社交場でした。
江戸時代の、貝原益軒の著書の中で、ヘチマは手足を洗うもの とも記されています。
銭湯で、誰かがヘチマを体を洗うものとして使ったとしたら、社交場であり庶民の憩いの場でもある銭湯で、ヘチマを体を洗う物としてたちまち広がっただろうと推測できるのではないでしょうか。
日本人は大の風呂好きといわれています。
火山の多い日本の国土には、温泉が数多く存在します。
ですから、温泉のお湯に浸る場所も多く、寒い冬には十分にゆったりとお湯につかって一日の疲れをいやしていたことでしょう。
お風呂は楽しみであり、憩いの場所、庶民の社交場、そこで、ヘチマはたちまち体を洗う物として広がったと推測できるのではないでしょうか。
沖縄の風呂文化の歴史はどうなの!
沖縄には、風呂文化はありません。
まず、沖縄には火山がなく、温泉もないのです。
沖縄は、昔から水不足に悩んでいました。
また、沖縄は熱く体をサッと水で洗い流すという感覚が今でもあり、温泉や浴槽につかるという習慣はあまりないのです。
体を洗うのは、池や川、井戸でさっと流す、水浴びが普通でした。
家では、手足を洗うくらいだったというのです。
1680年那覇市に銭湯ができましたが、しかしそれは一般的なものではなく、神事で沐浴、禊をして身を清めて仕えるという意味でのものだったのです。
明治30年頃銭湯ができます。
そして、戦後沖縄各地に銭湯ができます。最盛期は、1958年から965年、その後、各家庭に風呂場ができてきますが、多くは、シャワーのみでした。
沖縄県民は、ゆっくりと湯舟につかるという風呂文化はないのです。
昔から、サッと体を洗う程度のお風呂で、ゆっくりとヘチマのタワシで体を洗うということは、あまり広がらなかったことが推測されます。
また、沖縄の人はお風呂は一人で入るという感覚があり、日本で銭湯が憩いの場、社交場でもあったという感覚とは違うものがあります。
第一、日本にヘチマが入ってきた江戸時代、沖縄の人は池や川や井戸などでサッと体を洗い流すのですから、ヘチマをタワシとして使って体を洗うという楽しさも感じられなかったかもしれません。
ヘチマは沖縄では食べる?タワシやお風呂に入れたりもするのか沖縄県民が紹介!まとめ
ヘチマと言えば、多くの人がタワシとイメージすると言います。
しかし、沖縄ではヘチマと言えば夏野菜であり食べる物なのです。
沖縄では、ヘチマは野菜として食べるものという感覚です。
これまでの歴史でも日常的にタワシ、お風呂のタワシとして体を洗っていたという人はそう多くはないと思います。
沖縄県以外の人は、ヘチマって食べるの?と驚く方もいらっしゃるようです。
では、なぜ、沖縄ではヘチマは食べ物でタワシではないのでしょうか?
それは、沖縄の食糧事情とよる風呂文化の違いからくるものと考えました。
沖縄は、昔から日照りが強く水不足に悩んでいました。
また、たびたびやって来る台風は農作物に大きな被害をもたらし、沖縄は食料危機に何度も襲われたのです。
沖縄の庶民は食べるものが本当になかった時代が長く続いたのです。
そんな中、伝わったヘチマは大切な食べものとなったのです。
タワシにするなんて、もったいないことだったに違いありません。
また、沖縄以外の多くの日本の県は火山が多くそれによって温泉が数多く存在します。
日本人は古くから温泉につかり、そして近年は浴槽につかり、お風呂でゆったりと時間を過ごす文化があります。
また、江戸時代に広がった銭湯は、庶民の憩いの場、社交場でした。
社交場でもある銭湯でヘチマを使うことが広がったのも推測されます。
しかし、沖縄は火山も温泉もなく、慢性的な水不足でした。
体は川や池、井戸で水浴びする程度です
ゆっくりと温泉に浸る、湯舟につかるという風呂文化はないのです。
ですから、ヘチマを体を洗うタワシとして楽しむという文化は広がらなかったことが推測されるのです。